Vision

Web制作の仕事にはある特有の面白さがあります。それは「Webの中だけは、大企業も零細企業も同じ舞台」という稀な世界が広がっている事。予算や人員の規模が全く違っても、Webの中では差が出しにくいからです。故に「カネ、ヒト、モノ」の所有量に関わらずチャンスはあり、その珍しい「Webの舞台」の発見から、私はWebデザイナーが天職となりました。大と小が互角というこの舞台で「小の力になる」。大ドンデン返しのビジョンを楽しく歩んでいます。

Philosophy

もう100個近くのホームページを制作したので、多くの会社様とご縁を頂いたのですが、外部委託先の私達クリエイターが力を発揮しやすいのは、Web制作チームの成功するチームビルディングを意識されている会社です。そういう会社は社内と社外がチームとして一体感があり「情報・材料・協力」の配分がスムーズで、社内リーダーも「ついて行きたい」人物です。そんなチームビルディングを一つの目安にしながら、柔軟性を持って、Web制作をしているこの頃です。

Story

先のビジョンやフィロソフィーを持ったのは、今までの生きた証がなせる技。私については、このストーリーをご覧下さい。ユニークで波乱万丈な人生と言えるかもです。ストーリーでお伝えするのは流れだけですが「この仕事やりませんか」とお誘いのきっかけになれば幸いです。実は「ITへの道」からさらに「デザインへの道」とへ導かれたのが人生後半でした。もっと早く自分の道に目覚めたかったですが、それでもここまで来れたのは、実に不思議なストーリーとなりました。

こんにちは

Webデザイナーの齋藤天津子です

私の過去の作品集はこちら

個人と大企業が互角の舞台はWebだけ

ネット革命でウェブサイトは弱者と大企業の差を縮めました。

ウェブの普及前まだ30年もたってない頃、大企業は「水戸黄門の印籠をかざすような存在」で、傘下の護送船団を引連れていました。

インターネット革命後、複雑で大規模なeコマースにでは、まとまった資本の投下が必要でした。外資とはまだ資本格差があり、技術格差もあり、資本と技術この両方がそろうまで、当時国産のITメーカーは自社eコマースを構築するのに、IBMやhpに追いつこうと、数年のタイムラグを必死で追いかけていました。

それでも目ざとい中小企業や個人はいち早く自前のウェブサイトを開設して、大企業との差を縮めようと、インターネットマーケティングの情報を得てスタートダッシュを測ってました。そういうインターネットに「ピーンときた」人達は、インターネットがスモールビジネスの起業家にまたとない好機と気づいたからです。

というのも一般のウェブサイトは、eコマースのような複雑なシステムはいらず、小規模に適した制作費で、当時の技術では大企業にさほど見劣りしないウェブサイトを持てたからです。

なぜならウェブサイトの規模は、上場してようが個人であろうが、PCの画面サイズでスケール感では差がつきません。また表示されるコンテンツは、画像とテキストで構成され、大企業でも中小企業でもあるいは個人サイトでも、資本の差がつきにくい事情が当時はまだ強かったのです。ウェブ制作費にはビルや工場を建てる時のような、億単位の設備投資もいらなったからです。

そうです。個人さえ大企業と互角の戦いができる唯一の媒体が、Webの舞台となったのです。


ウェブサイトの中では資本力で差がつきにくく、その意味や価値にいち早く気づいた人の順に成功者が続出しました。インターネットがそれを可能にしたのです。
Windows95発売の1995年から、情報弱者であった個人が、情報の主導権を数で握れるようになっていったのです。

さらにSNSも普及し、何もかも手の内に握っていた大企業から、情報の主導権が個人に移り権力の移行がおこったのは革命的でした。これに気づきネットリテラシーの順に行動した結果が、今の姿に繋がっています。


Story

コスメeコマースで機会損失した失敗談

ECを自営するという難しさ。多くの壁にぶち当たった経験。

ECはウェブ完結型ですから、一般サイトよりシステムが高機能です。この意味さえよく知らず、適当に導入したシステムがバグを起こし、数ヶ月機会損失した事もあったのです。

小さいコスメeコマースでしたが、当初注目を集め年商が2千万近くに達したのはうれしい誤算でした。
最初からしっかりしたカートを稼働させるべきでした。 そんなに反応があるとは予想外だったのです。
ECサイトで「かごおち」というエラーが多発し、それを指摘されあわててしっかりしたショッピングカートを実装できるまで、数ヶ月かかりました。この間機会を損失してしまいました。
その後もこれほどのブームは二度と戻る事はなく、タイミングがいかに大事か知らされました。

またEC出店時のウェブ制作は、CMSがPHPで書かれていて自分で出来るはずもなく、EC営業の経験はあっても、ウェブ制作は何も出来なかったのです。当初の準備期間半年のうちに自学自習したのはせいぜいHTMLまで。今思うと冷や汗が出ます。
独学を続けながらECをやっていました。正式にWeb制作スクールに行ったのは10年後でした。

IT界は子世代が同僚

この業界どこへ行っても、hpでもスクールでも周りは子世代ばかり

「おかしいな〜」と当時から思っているのは、このIT業界はどこへ行っても、同僚は子世代ばかり。hp当時私は40代後半だったのです。上司が年下というのは、女性ならよくある事で、でもhp営業部署で同僚に同年代の女性は皆無で、他部署に1人2人でした。

40代ならそんな年寄でもないのに、同年代がいない職場でも気にとめず、やるべき事に集中しており、
彼らとコミュニケーションに問題も感じず、それより頭の中は、日々アップデートされるIT知識のマスターに忙しかったからです。

hpを辞めてから10年はコスメeコマースに打ち込み、ウェブ制作のスクールに入れたのは、コスメeコマース10年がすぎた頃、私はすでに60代になっていました。そのためスクールにはIT経験者である事をしっかり伝えて、やっと入学を認められた経緯があり、この時点で特例で入学できた状況でした。

入学後プロのWebデザイナースキルの習得は、グラフィックソフトの習熟がメインでした。
私にとってはhp法人営業とコスメeコマースの経験やスキルが備わっていたので、スクールでは楽々でした。

今フリーランスになり、ビジョンとフィロソフィーがやっと...

Webデザイナーになって10年が経ちました。コスメeコマースは今は副業になり...

スクールを終えてからWebデザイナーとして社員勤務も2社を過ぎた頃、コロナがやって来て、フリーランステレワークに移行しました。

東京都郊外の森を展望する自宅の一室がオフィスになり、依頼を受けたWeb制作で充実している日々を過ごしています。

さらにプロのWebデザイナーとしては10年になり、この間100近くのウェブサイトを制作してきました。

こちらが最新のビジョンフィロソフィーストーリーです。アップデートしました。特に最近はっきりしてきたのは、
私にとってこの仕事、Web制作を行う上でのフィロソフィーが大切なのだと実感しているところです。ぜひお読み下さいね。

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